![]() 鹿児島工業高等学校同窓会 |
ごあいさつ 令和6年10月1日 会員の皆様、猛暑や地震・水害など天変地異が日本全国で起こり、また新型コロナの再発生など不安材料もありますが、いかがお過ごしでしょうか。 母校は明治41年鹿児島郡立工業従弟学校創立以来今年で116周年、大正8年鹿児島県立工業学校として草牟田に移転してから105年、昭和24年県立鹿児島工業高等学校と改称してから75年を迎えます。母校の環境も変わり、6階建て校舎や実習棟・体育館など全面改築し、「新たな鹿工高」が今年度で完成します。皆様方が青春の時空を刻んだ「学びの舎」が新たな装いとともに大きく変わってきました。実際、昔の面影は旧正門と大煙突しか残っておらず、そのシンボル大煙突・旧正門と新校舎のコラボが、歴史と近代工業教育をつなげてくれるように映ります。ぜひ、新生した母校を皆さんの眼で確認に立ち寄ってみませんか。 今年の同窓会総会(慰霊祭、懇親会含む)は7月6日(土)開催しました。慰霊祭は護国神社、総会は母校、懇親会は城山ホテル鹿児島で行われました。特に今年の亡師亡友の慰霊祭には3名の特別会員の名前がありました。神奈川支部で長年幹事長をされた古川順二様、本部の副会長をされた浜田英俊様、関西支部を創設された木ノ下良男元支部長様も含まれました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 毎年のことではありますが、同窓会には元気な高齢者のご参加の人が目立ちます。特に90歳近くでゴルフをされている方が数名いらっしゃいます。「俺は100歳まで生きると決めた」と書店の陳列棚の本を手にした作者は今年87歳になった加山雄三氏です。われら青春のスーパースターでもあります。波乱万丈の人生を振り返り、「俺の全盛期は70代であった。そして80代の今はまだまだ青春。100までピンピンしてコロリと逝くには、身体だけでなく気持ちの張りが必要。それにはいくつになっても目標を持ち、努力を続け、周りに感謝しなければいけない。」と語っています。いくつになっても響く言葉であります。 最後に、今年度も会報誌を発行し、同窓会員へ送付しました。この会報誌を通じて母校、会員同士の架け橋になればと思っています。 |